男性用の礼服の一つで夜間のみ着用される物であり、同じく夜間用の礼服である燕尾服よりもやや略式なものとみなされる。 燕尾服が白い蝶ネクタイを用いるためホワイト・タイと呼ばれているのに対し、タキシードは黒い蝶ネクタイが用いられるためブラック・タイと称されている。 用途が広く、国賓を招いた晩餐会から気軽なパーティーなどまで、広く着用されている。
タキシードの歴史
1886年 | ニューヨークのタキシード・パーク倶楽部の正装舞踏会で、全員が燕尾服を着ている中、グリスウォルド・ロリラードという人物が燕尾服に着替えるのを忘れ、真っ赤なスモーキングジャケット(「喫煙服」。部屋着)を着用したままパーティーに参加したことが始まりであるといわれる(タキシード事件)。 |
1890年代 | 色とりどりのスモーキングジャケットと燕尾服のズボン、シャツ、小物を組み合わせたファッションが若者の間で流行する。この当時からタキシードという呼び名が定着した。 |
1900年代 | 黒のジャケット、燕尾服用のズボン、ウィングカラーのシャツ、白ベスト、白蝶ネクタイというスタイルが礼装として米国市民権を獲得する。 |
1910年代 | 当時カジュアルシャツであったヒダ胸シャツと組み合わせた着こなしが大流行する。 |
1920年代 | 夜の正礼装である燕尾服に次ぐ礼服として世界中に認知される。 黒蝶ネクタイと黒のカマーバンドが用いられるようになり、ブラック・タイと呼ばれるようになる。 それまでショールカラー(ヘチマ襟)しかなかったジャケットに、燕尾服に似せたピークラベルのジャケットが新たに加わる。 |
1930年代 | 白タキシードや色柄もののカマーバンド、蝶ネクタイなどが販売され、用いられるようになる。 |
1950年代 | ピーコック革命の波に乗り、色柄物のタキシードやクロス・タイ、フリル、レース、色物のシャツなどが用いられるようになる。 ピーコック革命の後、タキシードは再び黒一色に戻る。 |
1970年前後 | 上下白のタキシードにフリルシャツと言う組み合わせが花婿の衣装として流行する。 |
1986年 | タキシード100年、自由の女神100年、コカ・コーラ100年、オーストラリア建国100年などのイベントのさなか、タキシードに普通のネクタイを組み合わせた取材陣が数多く見られる。 日本では光物のアクセサリーなどをつけたディスコスタイルのタキシードが着られる。 |
1989年 | カリフォルニア・ブラックタイ、テキサス・ブラックタイと呼ばれる着方が現れる。 |
基本的な構成
タキシードの基本的な構成は次の通りである。
ジャケット | 黒無地のタキシードジャケット。襟は別素材(シルクなど)でショールカラー(ヘチマ襟)、ピークドラペルどちらでもよい。 シングル、ノーベント、鼓釦一つ掛けが基本だが、ダブル六つ釦でも良い。 |
ズボン | 脇の縫い目に沿って側章(襟と同素材)が縫い付けられた物。 |
シャツ | 立襟襞胸・両穴本カフスシャツ、または立ち襟イカ胸・両穴シャツ。 |
蝶ネクタイ | 黒無地。 |
ウェストコート | 上衣と共布の黒無地。なお、略式には黒無地のカマーバンドが用いられることもある。 |
カフスボタン | ブラックオニキス、または黒蝶貝 |
サスペンダー | 黒を使用。ベルトは使用されない。 |
ポケットチーフ | 白のチーフをスリーピークに畳んで胸ポケットに入れる。麻や木綿、絹素材の物。 |
靴 | 黒の短靴(紐なし)。革製またはエナメル素材のもの。ダンスの際、婦人のドレスを汚さないという意味合いからエナメル靴が正式とされる。 |
手袋 | 白、甲の部分に三本のピンタックがあるもので綿素材の物。 |
帽子 | ホンブルグ・ハット。 |